藤子・F・不二雄のおすすめSF短編五選。F先生の隠されたダークな一面が明らかに!

こんにちは。
皆さんは「藤子・F・不二雄」という漫画家についてどんなイメージを持っていますか?
代表作は「ドラえもん」や「パーマン」といった
いわゆる少年向けに描かれた漫画が主であるという風に思っていませんか?

 


確かにF先生の表面的な印象を捉えるには適切かもしれません。しかし、藤子・F・不二雄という漫画家の
奥深さはそれだけではないのです。代表的なのが漫画雑誌「ビッグコミック」に掲載されていた
短編の数々(ビッグコミック以外にも掲載されています)。「SF短編」と呼ばれる類の作品ですね。
SF=サイエンスフィクションという意味だけではない、「すこし・ふしぎ」な独特の毛色を持つ、
現代においても尚、輝きを放ち続ける作品群です。

 

今回はその「SF短編」の中から五作品を紹介したいと思います。

ミノタウロスの皿

藤子・F・不二雄のSF短編の中でも最も有名であり、強烈なテーマ性を放つ作品。
我々人間は地球上では食物連鎖の頂点に立っているが、ひょっとしたら他の惑星では
ピラミッドの下の方にいる可能性だって在る訳である。そんな当たり前の価値観を
転換させてくれる名作といっても過言ではないだろう。それがF先生のポップな絵柄で
描かれる物だから、より残酷さを引き立たせているのかもしれない。それと同時に
人類が普段行っている「生を食らい命を繋ぐ」という行為の業の深さを感じてしまう漫画でもある。

 

自分会議

藤子・F・不二雄はタイムパラドックス系の作品を多く出している。この「自分会議」もその一つだ。
主人公が莫大な土地相続を受け、それを売るか売らないかで「自分」が大いに揉めるという単純明快にして
SF作品の真髄を突いた作品となっている。私も子供の頃この作品を読んでいて、その急転直下的なオチ
(オチという言い方は少し違うかもしれないが)に「この漫画、これで終わりなの?」と
子供心に強く刻み付けられたのが印象的だった。「幼い頃の自分」が命を絶ち、
「全ての自分」が消滅するという展開は論理では理解できても実際にそれをこうして
決まったページ数の漫画にして世に送り出すというF先生の漫画力の高さには言葉も出ない。

 

劇画・オバQ

「オバケのQ太郎」が藤子F、藤子Aを初めとするトキワ荘の面々によって彩られた
豪華すぎる大名作であることは今となっては周知の事実だが、F先生はQ太郎と
正太のその後も描いていたのである。勿論題名通り公式な「オバQの最終回」という
扱いではないのだが、F先生にとってQちゃんは特別なキャラクターだったのだろうなと
感じさせてくれる作品である。時は移ろい行くものであり、変わらないものなどないという事を
オバQという作品でドラスティックに描き出した名作。

 

イヤなイヤなイヤな奴

嫌いな人は誰にでも居るものである。どんな聖人君子でも、どんなに人間の出来た奴にも、
1人ぐらいはいるものである。そんな「負の力」を有効活用したらどうなるか、ということを
宇宙船というこれまたF先生ならではの発想力で描き切っている。人間は一致団結したら
意外と強いんだなということが分かる、SF短編の中ではある意味救いがある方の作品。
F先生はこういう憎まれ役の描写がすこぶる卓越していましたね。A先生も「まんが道」で
ムカつく人間を描いていたし、何か経験でもあったのでしょうか。

 

女には売るものがある

男女同権が叫ばれて久しい世の中だからこそ読んで欲しい不朽の名作。
5ページという超短編だが、性別というものの難しさを感じてしまう。
この作品が1976年に描かれていたというのが驚き。こういう作品を「読んで」
「どう感じるか」ということが性差の解消に一歩でも前進できるのではないかな、
と私見だが思ってみたりする。

 

おわりに

正直五作品では全然足りないですね。
今なら「藤子・F・不二雄大全集」というものが出ているので、五作品と言わず
全部読みましょう。本を置く場所がないという人は電子書籍「藤子・F・不二雄SF短編<PERFECT版>」が出ているので、
そちらを買って満喫してください。くれぐれも海賊版サイトなんかを使ったりしない事です
マンガ文化の衰退に拍車をかけることになりますからね。作り手の気持ちを踏みにじる事は
今すぐやめましょう